今年は北海道命名150年という節目の年です。北海道が150年という長い時間を費やして育んだ最大の財産は、何といっても農業ですが、その最大の功労者の一人として忘れてはならないのが米国人エドウィン・ダンです。本紙では例年7月号で、彼が100頭のめん羊を連れて来日した1873年7月9日を「紙上めん羊まつり」として特集しています。
羊飼育史とダンの功績
北海道農業が本格的に始まったのは明治維新以後。開拓使が招聘した外国人たちの一人、畜産農業家エドウィン・ダンは、100頭のめん羊を連れて横浜港に上陸し、1876(明治9)年に札幌に入り、現在の南区真駒内で道内初の本格的な牧羊場をスタートさせました。
この時代のめん羊飼育は、衣服原料として羊毛を取ることが目的でした。しかし、開拓史が1882(明治15)年に廃止されたことでダンは帰国してしまい、その後、政府の牧羊産業化はことごとく失敗。第1次大戦で羊毛の輸入が禁止されたことで、急きょ国内での羊毛生産を再開し、1918(大正7)年、今の滝川市に種羊場が建設され、道内のめん羊飼育頭数は急増しました。
札幌市真駒内公園にあるエドウィン・ダン像。肩の上には仔羊が乗っています
第2次大戦後、衣料不足を解決するため飼育頭数はさらに急増、1957(昭和32)年には約100万頭に達しました。その後、安価な輸入羊毛や化学繊維の普及で、再び国内のめん羊飼育頭数は激減。現在では約2万頭となり、半数が道内で飼育されています。
エドウィン・ダンの功績は牧羊だけに留まらず、道産馬の改良やサラブレッドの飼育、バターやチーズの製造、ハム・ソーセージの加工技術の指導、ビートやホップ、リンゴの栽培実験に至るまで、驚くほど多岐にわたっており、今日の北海道農業の繁栄にどれほど貢献したか計り知れません。
滝川市丸加高原の「松尾めん羊牧場」
道内羊10万頭を目指して
羊肉需要の99%が輸入品で占められている今、北海道は地場産の羊を増やそうと、新しい段階に入っています。味付きジンギスカンを北海道料理の代表格に育て上げ、道民のソウルフードにまで高めた㈱マツオが2016年、同社発祥の地であり、大正時代に種羊場が建設された滝川市において、本格的な滝川産サフォーク羊の飼育を始めました。
「松尾めん羊牧場」内の仔羊たち
そして今年、道と北海道めん羊協議会、ニュージーランド大使館などが連携し、「ニュージーランド北海道羊協力プロジェクト」が始動しました。これは、道内の3牧場をモニター農場として、羊の飼育について調査分析、技術協力を行うというもので、現在約1万頭の道内飼育頭数を、10年後の2028年には10万頭にまで増やす計画です。
モニター牧場の1軒に選ばれた㈱マツオの「松尾めん羊牧場」は、滝川市丸加高原にあります。同社では、滝川市の110年にわたる羊文化の歴史を受け継ぎ、最高の肉用羊であるサフォーク種の生産を守り、広めたいという想いから、自社生産、加工、流通、販売に至るまでを手がけることで一つのストーリーを生み出していく方針です。