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特集記事

2018_05_06 | 2018年 5・6月号 巻頭記事 | | 編集部イーハトーブ

日本を愛したエドウィン・ダン 開拓時代の多大な功績を振り返る

今年は北海道150年の節目。開拓期から今日につながる最大の財産は国内一の農業王国を建設できたこと。その端緒を切り拓いた筆頭の功労者は、開拓使に請われて来日した米国人エドウィン・ダンだ。彼が本国から一緒に連れてきた牛百頭、羊百頭、馬百頭からどんなドラマが北海道で始まったのだろうか。

日本を「東洋のちっぽけな島国」と考え、合衆国農務長官ホーレス・ケプロンから強く要請されて仕方なく「一年限り」と期限を切って日本行きを決断した。1873年7月9日、エドウィン・ダンは牛百頭、羊百頭、馬百頭を引き連れて横浜港に到着した。

しかし、日本に来てみると風土や日本人気質がすっかり気に入ってしまった。北海道の第一歩は七重(現在の七飯町)の官営農場であったが、函館で日本人女性と出会い、そして結婚。これを機に日本に帰化し永住を決意する。「東洋のちっぽけな島国」「一年限りの滞在」と考えていたのだがダンは大きく心変わりした。以降、ダンは自身の生涯を日本に捧げた。1931年、この日本の地で永眠に入った。享年82歳。1883年には数々の功績が認められ「勲五等双光旭日章」を授与される。
エドウィン・ダンの功績は絶大だ。ダンはバターやチーズ、ハムやソーセージを日本で最初に作った。楕円形の競馬場建設もダンの進言だ。このように酪農、畜産、馬生産、獣医学など現在は北海道農業の中核を形成する。
羊毛採取を目的とした羊飼育だったが戦後は安い豪州産に押され、また化繊も出回り始め羊生産は衰退した。その後発案されたのが北海道人のソウルフード「ジンギスカン」だ。ダンと一緒だった牛百頭、羊百頭、馬百頭のドラマは今なお続続いている。
(文/山田勝芳)

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