IHATOV|イーハトーヴWEB北海道|北海道のフリーペーパー

IHATOV|イーハトーヴWEB北海道|北海道のフリーペーパー
  • 紙面版を見る

特集記事

2021_05_24 | 2021年 5・6月号 特集 | | 編集部イーハトーブ

三代にわたり守り続ける「市川式円盤杭」
北海道農業を支えた一本の杭
– 神楽農機JAPAN(株)-

北海道農業に多大な貢献をしてきたビニールハウス。その構造はパイプによる骨組みとそれを覆うビニールシート、そしてハウスの土台を支える杭にあります。その杭の圧倒的シェアを誇るのが、神楽農機JAPAN㈱。1本の杭がはたした北海道農業への貢献を考えます。

ビニールハウスが北海道に根付いて半世紀

北海道農業に大きく貢献してきたビニールハウス。冷涼な北海道には欠かすことができず、イチゴやトマトなどの施設園芸の生産に大きく寄与、今では巨大なビニールハウスが何棟も並んでいる風景も珍しくはありません。

ビニールハウスが誕生してから半世紀ほどが経ちました。初期のころの骨組みは竹でした。その後、金属のパイプに変わり、メッキが施され、錆びづらくなりました。

シートに使うビニールも昔は紙で、油を染み込ませ、強度や保温を維持していました。その後、農業用ポリ塩化ビニルフィルム(農ビ)が使われるようになり、ビニールハウスと一般的に呼ばれるようになりました。しかし、現在では農ビを使用するビニールハウスは減少傾向にあり、農ビよりも軽く、べとつかないポリオレフィンフィルム(農PO)を使用しています。一方、パイプの強度により積雪などの上からの圧力には耐えられますが、強風などの横からの圧力には土台となる杭の強度が重要になります。杭は簡単に抜けないようにいろいろなデザインが試みられ、今でも北海道では神楽農機JAPAN㈱の杭が圧倒的なシェアを持っています。

 

なぜ神楽農機の杭なのか

神楽農機JAPAN㈱は、現代表の祖父市川善男氏が、昭和37年に神楽農機㈲として立ち上げました。地元の業者が製造した米運搬車をJA青年部や関連会社に販売していたのがきっかけでした。当時はまだビニールハウスは一般的に浸透しておらず、それよりもはるかに小さいトンネルハウス用の杭を全道のJAに販売していました。

 

創業 の市川善男氏

昭和48年ごろから北海道にも現在の形のビニールハウスが浸透し始め、これまでのトンネルハウス用の杭では強風に耐えられないことが判明しました。そこで市川氏は、従来の真っすぐな杭にデザインを施し、抜けにくい杭に改良しようと試行錯誤を繰り返します。初めに円盤型の杭を考えましたが、北海道の土は泥炭、砂利、粘土と地域により様々なので、地元旭川では抜けなくても他の地域では杭が抜けてしまうというクレームも寄せられました。そこで、その地域地域の土に合うデザインを数十種類考え、「市川式円盤杭」として特許を取りました。

 

市川式円盤杭

 

その杭はJAの店舗で販売していましたが、農家の人たちも初めはどのように使用するかわからなかった。市川氏は農家一軒一軒に説明して回り、徐々に神楽農機の杭が浸透していき、今日に至っています。

 

今も生きている「市川式円盤杭」の著作権

しかし昨今、安易に「市川式円盤杭」を真似た一部業者の模造品に市川範之代表は遺憾に思っています。

「最近では、弊社の杭をそのまま道外の業者がコピーしている製品もあります。弊社の杭は、北海道の地層に合わせて杭の形をデザインした創作としての著作権が現在もあります。祖父が苦労して築き上げた創作物を守ること。そして、北海道の生産者のために常にそれぞれの地層に合った20種類以上の杭の在庫をストックしておくことが私の役割だと思っています」と話します。

 

農業用ビニールハウス

 

北海道の先人が苦労して築き上げた創作物を勝手に販売することは、やはり首を傾げたくなる行為です。北海道農業の発展に大きく寄与したビニールハウス。そして、それを陰から支えてきた1本の杭。北海道農業の大きな財産として敬意を払わなければなりません。

 

●神楽農機JAPAN㈱

旭川市西神楽3線8号1・89

TEL:  0166・73・9800

2021_05_24 | 2021年 5・6月号 特集 |