2007年5・6月号からカラー刷りへ移行、食べ物が何よりも映え、畑の緑も色鮮やかに刷り上がり、感動新たにリスタートした。書き上げた年代は古いがイーハトーヴの理念・哲学は現在に通じる。要約して紹介する。 山田 勝芳
穀物相場の高騰は 食卓を直撃します
07年7・8月号
当時の日本の食料自給率は40%。
政情不安の中近東の産油国は、原油価格の高騰へ舵を切る(減産体制)。それに対抗しようと、原油輸入の各国は、トウモロコシを使ったバイオエタノ―ルの生産確立へ舵を切る(エネルギー自給率アップ)。その結果、飼料用トウモロコシは激減、世界規模で価格の高騰を招いた。さらに豪州は大干ばつに見舞われて小麦が大減産して価格が高騰した。自給率の低い日本は大打撃を被る。多くを外国に依存する日本は原料費高騰で物価高に翻弄される。
この時も「飼料の国産化」は呼びかけられたのだが、今日に至っても一歩も前進していない、同じ過ちを何度も繰り返す日本農業の不思議さよ。
学校給食5 5周年 食育の本教室は家庭です
07年 9 ・1 0月号
昭和27年(1952)、欠食児童の解消を目指すべく始まったのが学校給食。20代、30代の若い世代が食べ残し容認派が多く、40代以上は非容認派が多い(2007年の時点)。学校では食べきることを強制せず、児童の判断に任せている。
「いただきます」「ごちそうさまでした」と発声する習慣やその言葉に内包する哲学、「もったいない」の思想は大人から子どもへ教えなければならないはず。その食育の本教室は学校よりも家庭の比重があるはず。 欠食時代に始まった学校給食は55年経った今飽食の時代にあって曲がり角に来ている(2007年の時点)。
環境保全の観点から 「地産地消」を考える
07年 1 1・1 2月号
「地産地消」に徹することは物流コストを削減することであり、二酸化炭素の削減に直結し、環境保全の観点からも有効と説く。
エネルギー分野でも海外依存度が高い日本、電力生産をどうするか、現実論を論じていかないといずれ日本経済は立ちいかなくなる。この記事は東日本大震災前の記事であり、地産地消を日常的に選択することは環境保全の理にかなう。
一方、電力を自給するということは自然エネルギーを活用するとか、原発をフル稼働する以外自給を高める方法はないことも事実だ。
筆者は東日本大震災を教訓に脱原発の側に立っていたが、原油高による発電経費高騰を目の当たりにし、日本経済が大失速する状況を鑑みると、再稼働を急ぐしか電力料金の低減は図られないと考えるに至った。理想論に執着するよりも現実を直視する必要に迫られていると判断した。それほど各界は高い電気料金に汲々としている。食産業界の知人も「原発の稼働しかない」と語る。海外市況に一喜一憂する現在の日本経済は世界の経済成長から大きく駆け放されていく、そうさせてはならない(現視点)。

食材の道産率を高める 「食卓革命」を始めよう
08年 1 ・ 2 月 号
日常的に地産地消を心掛けることは食材の道産率(国産率)を高めることにつながる。そこで本紙は読者に食卓の中で道産率を高めるべく「食卓革命」を呼び掛けた。さらに外食産業界に向けては「厨房革命」を呼び掛けた。外国産よりも国産、国産よりも道産に比重を置く行動哲学、それで環境負荷も軽減する行動規範といえる。簡単に要点をまとめたが理にかなっった生き方といえまいか読者にもぜひ考えてもらいたい。
中国産ギョウザ事件 食の安全は何処が責任持つ
08年 3 ・ 4 月 号
経済成長の目覚ましい中国ではあるが、半面、食の安全への信頼性はない(当時)。中国産の野菜や加工食品は価格は安いが消費者には信頼されない。だからスーパーの店頭には並びにくいが、それらは何処へ行っているのだろうか。
心配の中、中国の残留農薬入りギョウザ事件は起きた。さらにあろうことか、学校給食の現場に中国産冷凍食品が入り込んでいた(116校)。筆者はこのニュースを知った時、「やっぱりな」と率直に感じた。
学校給食協力会は入札で食材を決める。当時は地産地消の拘りはないように見受けされた。低価格追求だけでは食の安全は確保できない(当時)。 米飯導入時も、煩雑で扱いずらいということでパン食志向が強かった。学校給食が地域から隔離されれば、生きた食育は当然ながら子どもたちに教えられない。この事件を契機に、道教委は通達を出し「学校給食への中国産の自粛と北海道産食材に切り替える」との通達を出した。食の安全の観点からは中国産は使えないし、地産地消は当たり前のポリシーとして備わっていなくてはならない。
当時と現在では状況も大きく変化しており、協力会も社会性を帯びた組織になっていると思うが果たしてどうだろうか。
地球環境に思いやりある生活様式に替えませんか
08年11・12月号
日本のエネルギーの海外依存度は97%、技術はあるはずなのだがあまり熱心な取り組みだとは思えない。今もそうだが国民は総じて原油価格にいつも揺り動かされている。電気料金の高騰に泣く、ガソリン代の高騰に泣く、不平を言うが仕組みを変えるほどの国民運動へは発展しない。
08年当時もそうだが日本社会(国政も国民サイドも)の問題解決能力を疑ってしまう。現代に至っても何も前進していないのだ。国民との合意の取れている欧州諸国と比べ、取り組みがかなり遅れている。電気自動車だ、水素自動車だと掛け声だけは聞こえるが、皆無に等しい。
北海道の冬は灯油暖房が中心だ。高いと嘆いても寒いからとガンガンストーブを炊く。そんな生活感とおさらばしたいのだが、進歩しない日本人の実態である。 世界の食糧輸出は全体の10%で、このうちの2%は日本に向けられている。1億2千万人の日本に、飢餓人口6億7千万人を飛び越えて日本に輸入されている量は2%といわれている。日本国内で自給率を高める努力もしないくせに、延々と輸入食料に依存する日本に、あなたは誇りを持てますか?

過度の値下げ競争に 複雑な思いがします
09年 5 ・6 月 号
この時期は景気後退による消費低迷で、流通業界は商品の値下げ競争が激化していたとある。消費者には一見うれしいことだが、値下げした分をどこかでカバーしなくてはならない。店側、メーカー側、原料供給側のいずれかだ。過度の値下げ競争に消費者も冷静沈着に対応しなければならない。むしろ「つくる・うる・かう」側の共通した「もったいない」を見直すべきと論を展開している。例えば農産物規格の廃止を提案している。
安く作れる加工食品を求めて、ナショナルブランドの大手食品会社はこぞって中国へ進出した。損なわれるのは「食の安全」へ信頼、さらに日本国内の雇用が減速し、派遣社員が急増した時代だ。日本企業の果たすべき責任は何なのか、大いに考えさせられた時代でもあった。
現在では農産物の規格外も店頭に並ぶようになった。廃棄食物を減らす観点からも「子ども食堂」に再利用されたり、物を大事にする規範が定着しつつある。
食べ物の地産地消お金の地財地消の発想を
09年11・12月号
地産地消は理に適う行動哲学だ。同じように、木材選びも外材(輸入材)ではなく地元産材を使うことで輸送コストの削減や森林資源の循環につながり環境保全に有効だ。結局、お金だって同じで地元店で買い物すれば地元中心にお金も循環するが、本州の出先店なら売り上げは東京へ持っていかれてしまう。地元から地元への、好循環がいいのは理に適う。
私たちが殊更意識しなければ、身近な商品はほとんどがナショナルブランドだから、8割のお金が東京へ還流するといわれている。店選び、商品選びでちょっと意識すれば、地元のお金になる。工夫次第といったところだ。生活スタイルの哲学として、頭の片隅に地財地消のことばを忍ばせていてほしい。それが北海道人の気骨でもある。
低炭素社会の中で 地産地消の実践は有効
10年 1 ・2 月 号
世界共通のテーマである二酸化炭素削減。前年鳩山首相は国際会議の席上で25%削減を宣言したものの、これを家庭の中で考えるとエネルギーの25%削減はかなりハードルが高い。電気、ガス、灯油、ガソリンを4分の1減らすわけだからクリアは並大抵な覚悟ではクリアできない。いわば、数字の裏付け無き鳩山発言だ。あれから今日まで、恥ずかしながら一歩の前進もないのだ。
海を渡ってくるエネルギー類を極力減らし、フードマイレージの観点に立ち、地産地消を徹底追及する、これがせめてもの北海道人の身構え方であろう。
北海道の食料自給率は200%とよく引き合いに出される。一方、国全体の2009年当時の自給率は41%だが、道民の食卓における国産率・道産率はこの数値より下回るといわれる。それは県民所得36位が影響し高い地物のよりも安い方へ向かうからと言われている。
北海道ブランドを食生活の隅々に取り入れられていないことは、本当の意味で北海道ブランドを確立したとは言えないのではないか。例えは悪いが、良質な昆布は全部本州に向けられて、等級の低い規格外の昆布ばかり地元で利用している。これでは一流の昆布産地とは胸を張って言えない。

死亡原因の第1位は飢え 「6秒に1人」が犠牲に
10年 3 ・4 月 号
世界に目を向ければ今この瞬間「6秒に1人」の子どもが「飢え」で亡くなっていく悲しい現実がある。
世界の人口は68億人(当時)だが、アジア・アフリカ・中南米の貧困国には10億人の人が「飢え」に苦しんでいる。そのうち毎日2万5千人の人が亡くなり、そのうちの5歳以下の子どもは1万4千人もいるといわれる(数字は国連食糧計画WFPの広報より)。日本では想像もできないことが世界では現実に起こっている。世界の死亡原因の第1位は飢え。日本は海外依存を断ち切れ。
















