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特集記事

2019_09_18 | 2019年 9・10月号 巻頭記事 | , | 編集部イーハトーブ

宮沢賢治の理想郷を希求した町が 道内にもあった それは旧穂別町

「イーハトーブ」は宮沢賢治の造語だが、一言でいえば理想郷。人と自然の共生を最上の生き方とした賢治は、農業が最も自然界と共生できる営みと考えていた。
生活基盤のあった岩手県花巻をイーハトーブの里にしようと思い描いていたが、北海道にも賢治思想に共感して里づくりを進めた指導者がいた。

旧穂別町、現在は合併してむかわ町穂別となっている。「ムカワリュウ」の恐竜化石で全国的に知られている。
戦後、首長は官選から民選となり、最初の村長選挙に当選した横山正明がその人物で、その時はまだ38歳という若さだった。

昭和22年、宮沢賢治の思想に傾倒した横山村長は穂別を「北のイーハトーブの里」にすることを決意し、実践した。昭和29年には理想の村づくりを祈願して「賢治観音」(聖観世音菩薩)を彫像した。今も旧国鉄富内駅を見下ろす丘に立つ観音堂の中にある。

横山正明はすでに他界しているが、穂別住民の記憶の中には地域史に刻まれたイーハトーブの里づくりは鮮明に残っているに違いない。富内線は廃線になったが旧富内駅は宮沢賢治をイメージして「銀河ステーション」と名付けられ、辺り一帯を住民たちの手により整備されている。
駅に隣接して賢治設計の花壇「涙ぐむ眼」があり、春には住民総出で花壇づくりに精を出す。また、賢治の作品や貴重な資料を集めた図書館「イーハトーブ文庫」もある。宮沢賢治の作品や思想が幾世代にもわたり愛され続けるように〝穂別地区も永遠なれ〟と切に思う。
本紙も同じ名の新聞であり旧穂別町「北のイーハトーブ」や、オホーツク管内清里町の宿泊施設「イーハトーブ」に親近感を覚える。みな永遠なれ。

2019_09_18 | 2019年 9・10月号 巻頭記事 | ,